平安時代の庶民の暮らし

平安時代の庶民はどのような暮らしをしていたのでしょうか?

平安時代の庶民はどのような暮らしをしていたのでしょうか?

平安時代といえば「貴族」と呼ばれる階級の人々による優雅な生活、文化ばかりがクローズアップされます。

 

しかし、いわゆる庶民(農民や商人)の生活についてはあまり語られていません。

 

そのため、どのような暮らしを送っていたのか、詳しいことはよくわかっていないようです。

 

ここでは、当時の住居や遺跡などから推測しつつ、平安時代の庶民の暮らしについて考えていきたいと思います。

 

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農民や商人などの庶民が暮らしていた住居とは?

平安時代の貴族達は「寝殿作り」を取り入れた屋敷に住んでいました。庭園には桜が咲き、池があり、広い中庭があったのが一般的だそうです。

 

それに対して、一般庶民が住んでいたのは「竪穴式住居」あるいは「一般家屋」だったと言われています。

 

竪穴式住居に住んでいたのは主に地方の人々で、地面を掘り、そこに床と壁、屋根を設置して建築します。

 

竪穴式住居というと縄文時代のイメージがありますが、平安時代においても地方ではこの形式の住居が使われていたようです。

 

また、一般家屋に住んでいたのは「平安京内の人々」です。

 

平安京の人口はおよそ「10〜12万人」だったと推測されているため、少なくとも10〜12万人以上は一般家屋に住んでいたということがわかります。

 

また、全人口はおよそ「500万人〜600万人」と考えられているので、庶民の殆どが竪穴式住居に住んでいたということになります。

 

ちなみに、庶民の中でも身分が低い人々は、板を打ち付けただけの「掘っ立て小屋」で生活していたとされています。

 

このように、庶民の住居というのは、平安貴族に代表されるきらびやかな時代というイメージからはかけ離れたものだったようです。

 

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庶民たちのの食事と寿命

平安時代の農民あるいは商人たちは「ヒエ」や「アワ」を主食としていました。

 

それも非常に少ない量を食べるのが一般的だったようです。

 

当時の庶民たちは満足する量を食べられるだけの経済的な余裕がなかったため、大人はもちろん、子供もお腹一杯の食事を摂ることができませんでした。

 

そのため、栄養失調により7歳くらいまでに亡くなってしまう子供が多く、大人でもせいぜい30歳程度、あるいはもっと短かったとも言われています(この数字は諸説あり、はっきりとはしていません)。

 

医療不足や衛生的でない環境もありますが、食事を満足に摂れず、衰弱して病気になって亡くなった人が多かったようです。

 

とはいえ、庶民たちはとてもよく働いたため、「1日3回」の食事は欠かせませんでした。

 

上記で紹介したヒエやアワに加え、「道端の雑草」を茹でたものや、「塩」などを口にしていたそうです。

 

ちなみに、日本食の定番である味噌汁は室町時代に考え出された料理なので、平安時代にはまだ存在していませんでした。

 

平安時代は「できちゃった婚」が当たり前?

平安時代には「夜這い」の文化があり、その結果として目当ての女性が妊娠したら結婚するのが一般的でした。

 

つまり、平安時代は「できちゃった婚」があたりまえだったということです。

 

隣りの部屋で息子や娘が見知らぬ異性と愛し合っていても、親は一切干渉せず寝たふりをしていたと言われています。

 

しかし、夜這いにより妊娠が発覚したとしても実際には家庭を持てる庶民は少なく、全体の未婚率は非常に高かったと言われています。

 

つまり、結婚したくても経済的事情からできない人々が多かったのです。

 

特に男性は未婚率が高く、家族を養っていけたのはそれなりに身分の高い男だけだったそうです。

 

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