平安時代と国風文化

平安時代における国風文化の発展は遣唐使の廃止とは関係ない?

平安時代における国風文化の発展は遣唐使の廃止とは関係ない?

平安時代というのは、中国大陸からの影響を受け、新たな文化が次々と生み出された時代と言えます。

 

平安中期以降になると、それまでの大陸に影響を受けたものから、日本独自の文化が形成されていきました。いわゆる国風文化と呼ばれるものです。

 

ここでは、平安時代を代表する文化である国風文化を中心について、基礎的なことを紹介してみましょう。

 

中国の影響を強く受けた平安初期の文化

古来より、日本は中国大陸と国交があり文化的には大きく影響を受けてきました。

 

文字(漢字)や稲作技術の伝来、あるいは馬や鉄器技術などさまざまなものが中国大陸から伝わって来たのです。

 

当時、中国は世界的に見ても文化の発達した先進国であり、文化的に劣っていた日本は彼らからさまざまなことを学ぼうと意欲的でした。

 

小野妹子などに代表される遣隋使や遣唐使などの使節団を派遣し、学問から宗教に至るまで、あらゆる中国の文化を吸収しようとしたのです。

 

そうした努力の結果、平安初期の嵯峨天皇治世前後の貴族社会においては、中国の影響を大きく受けた文化が発達していったのです。

 

遣唐使廃止で国風文化が栄えたという説は間違い?

国風文化の始まりは平安時代の中期頃からとされています。

 

かつては、平安後期に国風文化が栄えた理由として、菅原道真によって遣唐使の廃止が提案されたことがきっかけだったとされていました。

 

日本のエリート集団を中国に留学させることをやめたことで、さまざまな知識や文化の流入が止まってしまったというのがその理由です。

 

しかし近年の研究においては、必ずしもそうとも言い切れない面があることが指摘されています。

 

そもそも、遣唐使が廃止された後も日本と中国の交易自体はずっと行われていたわけで、そのことを通じて文化の流入もずっと続いていたわけです。

 

そういったことを考えると、平安時代の中期以降に国風文化が栄えた本当の理由は、中国への留学が廃止されたことが原因というよりも、日本古来の「風土」や「習慣」、そぢて「実生活」などを見直そうとする気運が高まったとみる方が自然です。

 

この日本古来の文化を見直そうという気運こそが、国風文化成立の大きな要因となったと言えるかも知れません。

 

そういった気運は、実は奈良時代の後半から叫ばれており、遣唐使の廃止がそれを後押ししたと捉えるのが妥当と言えます。

 

国風文化の興りは、人々の根っこにあった日本人としてのプライドの芽生えこそが一番の要因なのです。

 

日本独自の文字が発生

現代において、わたしたち日本人は文字を普通に書くことができます。

 

しかし中国から漢字が伝えられるまでは、日本において物事を人に伝える手段は口伝が主流だったのです。

 

この漢字というものが中国から入ってきたことが、日本の文化に大きな影響を与えたことは言うまでもありません。

 

中国から漢字が輸入されたのが5世紀頃で、やがて日本独自の言葉を表すために万葉仮名が使われるようになりました。

 

さらに平安時代中期ごろになると、新たに生まれた日本独自の文字として平仮名や片仮名といった仮名文字が使われるようになったのです。

 

こういった日本独自の文字の発達によって、平安時代を代表する素晴らしい多くの文学作品が後世に残ることになったわけです。

 

貴族子女への教育と女房文学の発展

仮名文字の使用は、その後の日本の文化に大きな影響をあたえます。

 

漢字よりも平素で書きやすく、日本人としての心情を訴えやすい仮名文字は、特に女房文学の発展に寄与したと言えます。

 

平安時代の貴族たちは、当時の権力者であった藤原氏と外縁関係になるために自らの娘たちに高度な教育をほどこしていました。

 

仮名文字はそうした教育の一環として使われていき、貴族子女たちにとっては一般的な文字として受け入れられていったのです。

 

このことが、清少納言の名随筆である枕草子や、紫式部の大河小説である平家物語などを生む下地となったのです。

 

これらの名作は、日本独自の文字文化があればこそ生み出されたといってもいいでしょう。