平安時代の武士

平安時代末期の武士にはどのような特徴があったのか?

平安時代末期の武士にはどのような特徴があったのか?

貴族のイメージが強い平安時代ですが、その終わり頃には武士という身分も誕生していました。

 

彼らはその後、鎌倉時代から19世紀まで大きな力を持つようになります。

 

律令制度が確立され、武力・軍事力を行使するのは武官の仕事でしたが、武士という専門的先頭集団が生まれたことで時代は大きく変化していったのです。

 

果たして平安時代の武士たちにはどのような特徴があったのでしょうか。その起源などからかいま見てみましょう。

 

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坂上田村麻呂は武官だった

まず、はっきりしておかなくてはいけないのが、平安時代までの武官とそれ以降の武士の違いについてです。

 

言葉は似ていますが、実は両者の間には明確な相違が存在しています。

 

武官で有名なのが征夷大将軍に任命され大きな功績を挙げた坂上田村麻呂です。

 

彼は朝廷から勅命を受け蝦夷平定に尽力をした人物です。

 

優れた武功を挙げたわけですが、田村麻呂はあくまでも武官となります。

 

なぜかというと、彼は朝廷に使える官人であり、あくまでも役人でしかないからです。

 

律令制の中で生まれた今で言う公務員であり、蝦夷討伐では公的な仕事の一環として武功を挙げたに過ぎないのです。

 

よって田村麻呂は、いわゆる武士ではなく武官であるということが言えます。

 

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武士の起源について

では武官から武士の時代に突入した平安時代末期、彼らはどのようにして生まれたのでしょうか?

 

実は起源は諸説存在していて決定的とされるものはありません。

 

主に3つの学説が大勢を占めていますが、どれもが正しくどれもが不十分点があると指摘されています。

 

一つは在地領主論と呼ばれるもので、平安時代末期の日本が中世であったと考えることからスタートします。

 

地域を封建的に治める大農園主が、武装をしたことがその起源とする説になります。

 

かなり有力な学説ではありますが、源氏や平氏といった、時代を動かした武士の起源を説明することはできないという指摘もあります。

 

2つ目は職能論というものです。

 

ごくシンプルに伝えるならば、家業として武芸を身につけていった専門的な武装集団があり、国家から認定された軍事的な下請け業者が起源であるという説になります。

 

こちらも有力ではありますが、地方武士に関しては説明がつかないこともあり、決定的とは言えません。

 

3つ目は国衙軍制論と呼ばれるものとなります。

 

平安時代の中期頃から、租税の徴収を朝廷から請け負う田堵負名という存在がありました。

 

武士の出現期、彼らは地域の田堵負名の命を与えられていて、徐々に経済的な基盤を作り上げていって領主としての体勢を獲得するに至ったという説になります。

 

このようにさまざまな説が存在していますが、いずれにしても平安中期まで存在していた武官とはまったく別の存在であるのが武士だということには変わりありません。

 

独立をした意思を持っていた武装集団であり、時に反乱を起こしたり朝廷にくみするなどしていたのです。

 

生活は裕福だった?

武士は武芸を磨くことが仕事であり、領主として地域を治めることで収入を安定させていました。

 

とはいえ、生活に関しては各個人、集団によってそれぞれ違ったものでした。

 

食事に関して言えば貴族に準じるものですが、より質素なものであったという説もあります。

 

また、平安京に近い武士よりも、関東を拠点としている武士のほうが裕福だったという説もあります。

 

これは庶民にも言えることで、山や海にほど近い農民の方が、それぞれの自然の恵みを得やすいことから食生活が豊かになりやすかったのです。

 

平安時代の武士たちも、食生活に関しては地方の方が裕福だったと考えるのは、間違いではないでしょう。

 

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