平安時代の美人

平安時代の美人とはどのような顔立ちだったのか

平安時代の美人とはどのような顔立ちだったのか?

女性はいつの時代も美しくありたい思うものです。

 

現代においても、コスメグッズや美容整形が飛ぶように売れるのも、女の美しくありたいという本能が働いているからに他なりません。

 

現代における美人といえば、「クッキリとした目鼻立ち」「スラっと長い手足」「美しい髪のツヤ」「美肌」などといった要素があげられるでしょう。

 

しかし、そもそも美の価値観というのは時代によって、大きく変わってしまうものです。果たして平安時代には、どのような女性が美人として好まれたのでしょうか。

 

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最も好まれた美の基準

平安時代においてはきめが細かくて色白の美肌、ふくよかで柔らかそうなほほ、長くあでやかな黒髪といった要素が美人の条件でした。

 

他にも切れ長な目、おしとやかな口、小さいながらもしっかり筋の通った鼻といったものが美人の条件だったようです。

 

貴族階級においては、女性は家族や親戚といった親しい人以外には顔を見せないことが決まりとなっていました。

 

そのため、実際のところは、他人からはその女性が美人かどうかを推察するのは困難だったのです。

 

御簾を通して会話をし、気の合う女性の寝床に夜這いをしかけて、始めてその顔を確認することができたのです。

 

基本的には暗がりでしか見ることができなかったので、メイクは白粉に引眉、お歯黒とわかりやすくてなまめかしいものが好まれていたことがわかっています。

 

教養も大切な要素だった

先にも書きましたように、平安時代の貴族階級においては、女性の外見を他人である男性が見ることは非常に困難でした。

 

そのため、見た目だけでなく中身の方も美人の条件として非常に重要視されていたのです。

 

たとえば、和歌のうまさであったり機知に富んだ会話のやりとりなどはとても重要なポイントとなります。

 

当時の上流階級では、みやびな風情こそが「おかし」という表現で大切にされていました。

 

そういった上品な雰囲気を持つ女性が、美人として好まれたと考えればわかりやすいのではないでしょうか。

 

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世界三大美人・小野小町について

平安時代における美人といえば、小野小町が有名です。

 

実際の肖像画などは残っていませんので、外見的にはどのような女性だったのかはわかりません。

 

しかし残された逸話からは、かなりモテた女性であることは間違いないようです。

 

実際のルックスに関してはまったく不明ですが、彼女の場合はどちらかというと教養の面で当時の男性方の心をつかんでいたようです。

 

実際に紀貫之が、古今和歌集の序文に「近き世にその名きこえたる人」として六歌仙の一人にあげるくらいですから、相当な知性を備えた女性であったことは間違いありません。

 

美という価値観について

美人という点において、平安時代と現代の間には大きな違いがあります。

 

共通する部分もたくさんありますが、なぜ同じ日本人なのに好まれる女性像に違いが出てきてしまったのでしょうか。

 

そもそも、美という感覚は非常に主観的なものです。

 

個人の好みや育った環境・教育・経験などにも大きく左右されますし、社会全体の価値観からも大きく影響を受けるものです。

 

たとえば、現代でも日本人が可愛いと思うキャラクターが必ずしも海外でウケるとは限りません。

 

それと同じで、平安時代の感覚が今の日本に完全にマッチすることはあり得ないのです。

 

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